オーナー伊藤の履歴書
2014.02.16
「いただく。」から、「稼ぐ。」へ。
少し生々しい話になってしまうのですが、私たちスタイリストが手にする「お給料」。
最初は自分を目当てにお越し下さるお客様も数えるばかりですし、売上も不安定で、およそフルコミッションでお給料をいただくだなんて遠い先のお話のように思っていましたが、いよいよ自分を指名して下さるお客様も増えて来て、当時の店長からも「そろそろいいんじゃないか?」という声をかけていただけるようになってきました。
ちょっとずつ出る杭は、ちょっとずつ打たれる。
ご指名を下さるお客様が増えてくるにつれ、私のカットの料金もランクアップし、1期、2期上の先輩方と肩を並べさせてもらうことになりました。追われるよりも、追いかけている側の方が怖いもの知らずなもので、先輩方と肩を並べさせてもらえるうれしさ、あわよくば追いつけ追い越せ、今思えば自分の未熟さが恥ずかしいものです、少し生意気さも顔をのぞかせ始めていた時期だったように思います。

デビューしたての頃のあたふたしていた感じはどこへやら、させていただくお客様を自分の顧客に出来るという自信もついて来た頃でした。
今の実力なら、たとえ0からのリスタートでも、今以上にたくさんのお客様からご支持をいただけるんではないだろうかと考えた自分は、少しずつご新規のお客様、指名のないお客様への入客がしにくくなって来ていた当時の環境から、新しい環境へのチャレンジを打診したのでした。
重ねて、自分の未熟さも勿論、当時の生意気さもまた、過ぎてみて分かる恥ずかしさがあるものです。
当時、お客様の数も、売上も遠く及ばないところで息巻いていた自分に、当時の店長はとても冷静に示唆を下さいました。 (話が前後してしまいますが、そもそも当時所属していたサロンの店長というのは、背水の陣だなんて臨んだ、私の3度目の就職のきっかけを作って下さった方で、私のことをそれこそ客の頃から、シャンプーマン時代からご指導下さっている方でした。)

伊藤の曲線もまた同じく。

0.5%の努力の差。 100%あるうちの、99.5%。 たった0.5% かもしれませんが、99.5% のところまでほぼ変わることのない景色を見続けている人間にとって、その0.5%の部分に努力をすることがどれだけかったるくて、面倒くさいものか。
夢中の強さもまた学んだ気がします。 頑張ろう、はその字のごとく、「頑(かたくな)につっ張ること」。 小さいお子さんが苦労なく、むしろ楽しそうに新幹線の系統を憶えてみたり、山手線の駅名をそらで言えるようになってみたり。
深くしゃがみ込んだ方が高く飛べる。
過ぎてみて、「あ、あれってそういう体験だったんだ。」くらいに夢中で入り込める環境で育んでもらっていたということなのかもしれません。
デビューから数えて4年半。
ついに最終キャリア、副店長(チーフ)という役職をいただくまでに至るのでした。
(つづく)