代表伊藤の履歴書
2014.02.16
先輩方からの「9番でお願い致します!」をふくむ叱咤激励のおかげもあり(?)
いよいよ私にも飛躍に向けたいくつかの節目が訪れます。
◇「いただく」から「稼ぐ」へ
少し生々しい話になってしまうのですが、私たちスタイリストが手にする「お給料」。
デビューした当初というのは、売上に関わらず一定額をいただく「固定給」からスタートするのですが、お客様から頂戴した売上に対して、一定の割合で還元してもらえる「稼ぐ」「歩合制(フルコミッション)」のステージまでいくことが、当時ひとつのステータスで、そこを目指して日夜奮闘していくわけです。
最初は自分を目当てにお越し下さるお客様も数えるばかりですし売上も不安定で、およそフルコミッションでお給料をいただくだなんて遠い先のお話のように思っていましたが、いよいよ自分を指名して下さるお客様も増えて来て、当時の店長からも「そろそろいいんじゃないか?」という声をかけていただけるようになってきました。
◇ちょっとずつ出る杭は、ちょっとずつ打たれる。
ご指名を下さるお客様が増えてくるにつれ、私のカットの料金もランクアップし、1期、2期上の先輩方と肩を並べさせてもらうことになりました。
追われるよりも、追いかけている側の方が怖いもの知らずなもので、先輩方と肩を並べさせてもらえるうれしさ、あわよくば追いつけ追い越せ、今思えば自分の未熟さが恥ずかしいものです。
少し生意気さも顔をのぞかせ始めていた時期だったように思います。
この頃、先輩方を差し置いて、新しくオープンする新店舗への異動願を出したこともありました。
デビューしたての頃のあたふたしていた感じはどこへやら、させていただくお客様を自分の顧客に出来るという自信もついてきた頃でした。
今の実力なら、たとえ0からのリスタートでも、今以上にたくさんのお客様からご支持をいただけるんではないだろうかと考えた自分は、少しずつご新規のお客様、指名のないお客様への入客がしにくくなって来ていた当時の環境から、新しい環境へのチャレンジを打診したのでした。
重ねて自分の未熟さ、生意気さもまた、過ぎてみて分かる恥ずかしさがあるものです。
当時、お客様の数も、売上も遠く及ばないところで息巻いていた自分に、当時の店長はとても冷静に示唆を下さいました。(話が前後してしまいますが、そもそも当時所属していたサロンの店長というのは、背水の陣だなんて臨んだ、私の3度目の就職のきっかけを作って下さった方で、私のことをそれこそ客の頃から、シャンプーマン時代からご指導下さっている方でした。)
ほどなく先輩方の退職等が重なったこともあり、デビュー当初、店長から数えて7番目でスタートした私もあれよあれよ、いつの間にか、店長・副店長(チーフ)につぐ3番目、サブチーフとしての役職を拝し、いよいよ自分の作る売上もまたサロンにとって柱の一端をになえるぐらいのものになっていくのでした。
◇伊藤の成長曲線もまた同じく
後に読んだ本で得た見聞でしたが、自分がこの時期に経てきた体験というのは、少しこれにも近かったのではないかなと思っています。
0.5%の努力の差。
100%あるうちの、99.5%。
たった0.5% かもしれませんが、99.5% のところまでほぼ変わることのない景色を見続けている人間にとって、その0.5%の部分に努力をすることがどれだけかったるくて、面倒くさいものか。
夢中の強さもまた学んだ気がします。
頑張ろう、はその字のごとく、「頑(かたくな)につっ張ること」。
小さいお子さんが苦労なく、むしろ楽しそうに新幹線の系統を憶えてみたり、山手線の駅名をそらで言えるようになってみたり。
深くしゃがみ込んだ方が高く飛べる。
過ぎてみて、「あ、あれってそういう体験だったんだ。」くらいに夢中で入り込める環境で育んでもらっていたということなのかもしれません。
デビューから数えて4年半。
ついに最終キャリア、副店長(チーフ)という役職をいただくまでに至るのでした。
(つづく)